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最近専らブログしか更新してません。
・あっぱれ ほめたたえる気持ちを表すときに発する語。あっぱれは漢字で「天晴れ」と書き、空がよく晴れたような心地いい気分だという事から出来た言葉。 ・塩梅 現在と違って調味料の種類が豊富でなかった以前は主に塩と梅で料理に味を附けていた。そこから転じてちょうどよい味加減の事を「よい塩梅」と言うようになり後に味加減以外の場合でも加減が良いことを塩梅と言うようになった。 ・師走 十二月の旧名。 一年の終わりである十二月は「師」、つまり先生と呼ばれるような普段落ち着いている人までもが忙しくて走り回る、という意味からそう呼ばれるようになった。また、師は坊主の事を指しているとも言われる。 ・たわけ 大地主だった豪農が田圃を何人かの息子に分割して相続させていったところ、時代を下るごとにどんどんと一家族あたりの田圃が小さくなっていき、やがて全員落ちぶれていった。この故事から転じて愚か者の事を田を分ける者という意味で「たわけ」と呼ぶようになった。 ・情けは人のためならず 人に情けを掛ける事はその人の自立を妨げ、ためにならないという意味のことわざ。 ・プラトニック・ラブ プラトニックの語源は古代ギリシアの哲学者プラトンから。 プラトン的な愛、つまりは同性愛若しくは少年愛を指す。 一般の男女間でも「プラトニックな関係」などと表現する事があるが、この場合のプラトニックは女性器ではなく肛門をもちいて性交渉を行う事を意味する。 ・ライトノベル 右よりの保守思想の強い文学作品の総称。ライトノベル作家としては三島由紀夫などが有名。 ライトノベルがあるのにレフトノベルがないのは日本では作家のほとんどが左派思想のためノベル=レフトノベルとなっているからだとされる。 念のために言っておきますが全部でたらめですから。間違って覚えても当方では責任を負いかねます。 |
・疑心暗鬼 事実、根拠の無い事柄に対して恐怖、不安を抱く事であり、理由がはっきりしている場合には用いない。 使用例 「彼はKEyに続きアトリエかぐやまで全年齢作品に移行するのではと疑心暗鬼にとらわれている」 ・愚○ 愚息、愚妻、愚妹等用いる場合の「愚」は一人称としての意味をなす。 よって愚息とは「私の息子」の意であり、「愚かな息子」の意味ではない。 使用例 「愚妻の朝倉音夢です」 ・ゲキを飛ばす この場合のゲキは檄文の「檄」。激励の「激」ではない。 檄文を飛ばす。つまりは遠方にいる味方や中立勢力に呼応、決起を呼びかける事。「円陣を組んで選手にゲキを飛ばした」などというのは誤用。 使用例 「CLANNAD不買運動に参加するよう、彼はゲキを飛ばした」 ・こだわる 世間一般では重視しないような細かな点に対する執着、思い入れ。叛逆的自己主張。 「美しい物にこだわる」「食材にこだわる」などというのは本来間違った使い方。 使用例 「私はツンデレにこだわって買う作品を選んでいる」 ・子供 子どもとは本来「子」に複数形の「ども」が附いた言葉で英語の「children」にあたる。 どもを「供」としたのは単なる当て字であり、人権云々の理由から「子ども」表記にこだわるのはただの阿呆である。 使用例 「エロゲーにおける『子供』とは十八歳以上をさします」 ・指摘 「指し示す」と似た言葉であるが「指摘」の場合、対象がマイナスの価値観を持ったもの(弱点、問題点、欠点等)に限られるため単純に言い変える事は出来ない。 使用例 「王雀孫は執筆スピードの遅さを指摘されている」 ・すべからく 「○○しなければならない」の意。以前は「すべからく~」とあったらその文章はかならず「~すべし」と結ばれたが現在ではこの限りではない。 「すべて」の意味で用いるのは誤り。 使用例 「すべからくあごバリアがシナリオを書いた作品は回避すべし」 ・全然 「全然駄目」「全然弱い」等、否定、打消しの場合にのみ使われていると思われがちであるが、本来は肯定、同意の場合にも用いられてきた。打ち消し限定に用いられるようになってきたのはごく最近で、芥川龍之介、森鴎外等の作品では否定以外に用いられた箇所を見る事が出来る。 使用例 「PULLTOPの新作? うん、全然いい」 ・開き直る 突然あらたまった姿勢になる事。唐突に態度を真面目に変える。やぶれかぶれ、居直り。 気分転換の意ではない。 使用例 「オフ会で奈須きのこの悪口を言った私に、彼は開き直って詰め寄ってきた」 「こだわる」とか「全然」とか意外と日本語を知っていなかったんだとしみじみ。 辞書や新聞なんかも結構間違っているらしいので仕方ないっちゃ仕方ないのですが……。 |
ユーザーにとっての萌えゲーってなんでしょう? ふと、そんな疑問に駆られたのは「遥かに仰ぎ、麗しの」の事を萌えゲーと評しているレビューを見かけたからです。私はプレイしている最中もプレイし終わった後も、かにしのを微塵も萌えゲーだと認識していなかったので。 考えて見れば私も安易に萌えゲーという言葉を使っていましたがそれが具体的にはどんな作品をさすのが明確な答えを持っていませんでした。なので萌えゲーとは何か、ちょっとここで検証してみたいと思います。 先ず私がプレイした中で萌えゲーだと思っている作品を挙げてみたいと思います。 明確に萌えゲーだと思う物 ・月は東に日は西に ・Canvas1&2 ・はぴねす! ・ToHeart2 ・Piaキャロットへようこそ!!G.O. どちらかと言えば萌えゲーに属すと思う物 ・SHUFFLE! ・みずいろ ・ラムネ ・Really?Really! 逆に、先に挙げたかにしのやD.C.などは萌えゲーと言われる事が多いですが個人的にはそう呼ばれる事に違和感を感じてしまいます。 で、こうして具体名を挙げてみるとなんとなく私の定義する萌えゲー特徴が掴めて来た気がします。 まず、「萌え」という要素がある事。これは大前提ですね。CGが一定以上華美で魅力的。且つ、ヒロインに極端な「毒」が無い事(下級生2とか)。ヒロインが主人公に媚びている作品とも言い変えられるかもしれません。 そしてアクションやSLGなどのゲーム要素が無い事。アリスソフトの作品を萌えゲーと呼ぶ人は見た事ありませんからね。 最後にテキスト、シナリオが脆弱な事。これに尽きるでしょう。いくら萌え要素があってもシナリオに優秀なものがあればそちらに目が行ってしまい「萌え」という要素はただの彩へと変化してしまいます。 要するに蔑視用語なんでしょうね、私にとっての「萌えゲー」は。 萌えという要素はある。だけどゲームとしても楽しめないし、シナリオも陳腐。それだけしか取り柄が無いから仕方なく「萌え」に価値を見出す、と。 逆にかにしのやD.C.はシナリオに見るべき物があったから萌えゲーと呼ぶ事が憚られたんだと思います。 萌えがあるから辛うじて許されるクソゲー一歩手前の作品。私が萌えゲーという言葉を使っていたらそう受け取っておいて下さい。 まあ、世間一般から見たら、かにしのも水夏もFateも群青の空を越えてもみんな萌えゲーなんでしょうが。 |
スタジアムには大勢の観客がひしめいている。 競技場には二つの檻があり、その中に入っているのが、片方は美女であり、片方は虎であるらしい。 しかし、檻の入口は覆われていて中は見えない。 一人の若者が、観衆に見守られどちらかの檻を開けなければならない状況に置かれている。もし、虎の檻を開ければ、若者は虎に食われて死んでしまうが、美女の檻を開ければめでたく結婚できる。というゲームである。 若者は一瞬ちらりとスタンドに目をやる。 スタンドには王と王女が並んで座っている。王女と若者とは恋仲であったのだが、それを王に発見されて、この死のゲームの生贄にされたのである。 若者は救いを求めるようにして、王女を見やる。王女は、どっちの檻に虎が入っているかを知っている。若者の命を救ってやることの出来る立場にある唯一の人間である。 若者は、王女にサインを求める。王女は、無表情にサインを送る。そこで、若者はためらう。 王女は、自分の恋人を他の美女に奪られてまで命を救ってやろうと思ったであろうか? それとも、自分たちの恋の思い出を守るために、死を選ばせようとするであろうか? それは、若者にとっても謎である。若者は一つの檻に近づいてゆく。 さて、若者は王女のサインしてくれた檻を開けるであろうか。それとも「もう一つの檻」を開けるであろうか? 衛宮士郎は迷わずに王女のサインした檻を開けた。王女を疑う事が出来なかったから。 滝沢司も迷うことなく王女のサインした檻を開けた。王女の事を疑わなかったし、彼にとって重要なのは目の前の檻ではなく、どうすれば王女と一緒になれるかだったから。 鳴海孝之は長い間迷い、結局王女のサインした檻を開けた。もう一方の檻を開ける事は王女への背信であり、たとえ生き残ったとしても王女に合わせる顔がなかったから。 えらく哲学的な命題とエロゲを結びつけて考えてしまう自分はどうかと思います。 三人の行動に関しては異論もあるんでしょうが私のイメージだとこんな感じです。どうでしょう? これ、逆に女性側の視点から考えても面白そうですね。三人が開けた先にいるのは美女か虎か。王女が誰かによっても代わってきますから。 拍手レス >サインとは逆の檻を開けるタイプの主人公はいるんでしょうかね? そういうタイプは主人公にならない気が……。 でも、孝之の場合、相手が水月だったら隙をついて逆を選んでいそう。 |
長らくHDの肥やしと化していたアニメ版SHUFFLE!をやっと見終わりました。(と言っても後半部分だけですが) 事前に仕入れた情報でメインヒロインは(何故か)亜沙だと知っていて、「あ~、本当に亜沙がヒロインなんだ」なんて思いながら見ていたんですが。 …… ………… ……………… これ、メインヒロイン亜沙じゃないよね? いや、確かに後半はゲームの亜沙ルートを踏襲しているしラストも主人公は亜沙と結ばれる訳だけど、これ、メインヒロインは亜沙じゃなくて楓の方でしょう。 アニメ版では後半、主人公は亜沙と付き合う事になりゲームと同様、自らの魔力の所為で亜沙が体調を崩し、魔力を使わせる為に主人公が手首を切るという展開になる訳ですが、途中に頻出する亜沙と主人公がいちゃつくシーンの言い様の無い薄ら寒さは間違ってもメインヒロインのそれとは言えないと思います。 で、その薄ら寒さの出所は言うまでも無く楓な訳で。 後半、主人公は亜沙と付き合う事になって楓を省みなくなり、その結果いい具合に壊れていく楓。目から光は失われ、ただ只管主人公の帰りを待ち続け、空の鍋をお玉で回し続ける。さらに回想される楓と主人公の過去の因縁、と言うか主人公を殺そうとする幼い楓。壊れていく楓に気付かず亜沙と蜜月を過ごす主人公の外道振りは筆舌に尽し難く、そんな彼と亜沙の演じるラブシーンはただの茶番でしかありえません。 確かにラストは結ばれなかったけれど、アニメ版SHUFFLE!のメインヒロインは楓と言う事でいいんじゃないかと思います。明らかに亜沙じゃなくて楓の方にピントがあったストーリー展開でしたから。 結局、亜沙はスケープゴートに過ぎなかった気がします。製作者側も、本当に描きたかったのは亜沙ではなく楓の方だったのではないでしょうか。そう考えると亜沙も可愛そうな役回りだったのかもしれません。(本当に可愛そうなのは、後半サブヒロインどころかモブキャラに成り下がっていたシアとネリネですが) そもそも、SHUFFLE!をこのような形のアニメにする事自体無理があったような気がします。もともとグラフィック頼りで極端にストーリーが脆弱(そしてそれは決して悪い意味ではない)な作品なのに、シリアス(?)な展開なアニメを作る必要があったのかと。それを無理に真面目な展開にした所為で、亜沙は道化を演じ、主人公は最低の人間に成り下がり、楓は壊れ、原作の持つ雰囲気は粉々に破壊されてしまいました。大人しくハーレムエンドでなあなあなストーリーにしとけばこんな事になならなかったでしょうに。 結局、良い意味でも悪い意味でも淡白だったゲーム版の良さはアニメ版では微塵も残っていませんでした。あまり評価が高くないというのも仕方ない気がします。 アニメ版スタッフは張り切りすぎて空回りしてしまった印象です。そんな真面目にシナリオを練り上げるような作品でもないでしょうに。もっと肩の力を抜いて作ればよかったのに……。 唯一、この作品で褒められる事があるとすれば、それは……。 眼鏡っ娘なプリムラは素晴らしい!!! という事です。 |