キャラクター モデル人物 備考 列伝
織田信長 織田信長 自ら「第六天魔王」と称した戦国の風雲児。
戦に関しては抜群とは言えなかったが内政手腕に優れ、革新的な政策を試行し天下に覇を唱えた。天下統一も目前と思われたが本能寺に於いて家臣の明智光秀に背かれ自害。
江戸時代には無名だった信長が有名になったのは、帝国陸軍が奇襲作戦としての桶狭間の戦いを評価、研究した為だと言われる。
香姫 お市の方? 信長の妹。最初北近江の浅井長政、次いで柴田勝家に嫁いだ。
絶世の美女で聡明だったとも伝えられる。
夫勝家が羽柴秀吉に攻められ立て籠もった越前北ノ庄城において勝家と共に自害。
柴田勝家 柴田勝家 信長の父信秀の代からの織田家家臣。信秀の死後、信長の弟信勝を擁立して信長と対立するが後に許されて家臣となる。
重臣として活躍するが、信長の死後後継者問題で秀吉と対立。賤ヶ岳の戦いの戦いで大敗を喫し1583年越前北ノ庄城において自刃。
乱丸 森蘭丸 一般に蘭丸として知られるが、当時の史料には全て乱丸と書かれており、蘭丸は誤用とされる。 織田家家臣森可成の子。成利。
小姓として信長に寵愛を受け齢17にして岩村城主となるなど破格の出世を遂げるが本能寺に於いて信長と運命を共にする。
上杉謙信 上杉謙信 その圧倒的な強さとカリスマ、自らを毘沙門天の転生と信じ生涯不犯を貫いた神秘的な人物像から「軍神」と謳われた戦国最強の「越後の龍」
上杉憲政から譲られた関東管領の威信回復の為関東出兵を繰り返し、甲斐の武田氏、相模の北条氏と関東三国志と言われる死闘を繰り広げた。晩年には北陸に進出して来た織田家の大軍を手取川の戦いに於いて粉砕するがその直後に病死。
尚、戦国ランスに於いて上杉謙信は女性として登場するが、史実に於いても謙信女性説は根強く存在する。
直江愛 直江兼続?
直江景綱?
謙信の補佐役として考えるなら直江景綱が該当するが知名度と愛という名前から考えるなら直江兼続か。 直江兼続
謙信の後を継いだ景勝を文武両面から補佐した越後宰相。幼少期より景勝に仕え謙信死後に発生した上杉景虎との相続争いである御館の乱を景勝の勝利に導く。
豊臣政権下では陪臣でありながら米沢三十万石を与えられるなど破格の待遇を受ける。
徳川家康を激怒させた「直江状」の筆者として有名。
前立てに「愛」の字をあしらった兜を使っていた。
直江景綱
謙信まで長尾家三代に仕えた宿老。
武闘派が多い謙信の家臣団において主に内政、外交など事務面から謙信を支えたが決して戦が不得手と言う訳ではなく、川中島の合戦などに於いて武功を上げている。
能登遠征の最中、1577年に死去するが景綱には男子が無く娘婿として養子を迎える。最初に迎えた養子信綱が死去した為、新たに養子入りし直江家を継いだのが兼続である。
勝子 上杉景勝 長尾政景の子で謙信の甥にあたる。父の死後謙信の養子となる。「御館の乱」において景虎を破り上杉家の当主の地位を確立する。
豊臣政権下で会津120万石に加増移封され小早川隆景の死後五大老に列せられる。
関々原の合戦において徳川家康率いる東軍に敗北出羽米沢30万石に減封され初代米沢藩主となる。
虎子 上杉景虎 北条氏康の七男(異説在り)
北条家と上杉家の和睦の際人質として謙信の養子となるが、謙信は美男で聡明な影虎を愛し厚遇させる。
謙信の死後勃発した家督争い「御館の乱」で景勝と争うが敗北。実家の小田原に逃走する途中部下の裏切りにあい自害。
足利超神 足利義昭? 足利最後の将軍と言う事で義昭がモデルと思われるが、正直、足利末期の将軍なら義輝以外だれでも良さそうではある。
山本五十六 山本五十六 戦国武将達の中にあって一人毛色の違う山本五十六。
ちなみに、小沢治三郎を初めとする彼女の部下達もみな帝国海軍の提督達からの命名。
太平洋戦争開戦当時の聯合艦隊司令長官。恐らくは人気、知名度とも日本で二番目に高い提督。
空母を中心とした機動艦隊の創始者であり、そういった意味では現在の世界各国の海軍にも大きな影響を与えている人。
対米開戦に反対した事で知られるが、日本の意志に関わらずアメリカは日本との戦争を望んでいたのでその判断が正しかったかどうかは定かではない。
徳川家康 徳川家康 徳川幕府を創設した天下人。人呼んで「三河の狸」
政治と軍事、そしてなにより気宇の壮大さといった点において信玄や謙信、信長や秀吉といった戦国武将達に遠く及ばなかったが、持ち前の粘り越しと長命によって戦国の勝者となる。
本多忠勝 本多忠勝
井伊直政 井伊直政
榊原康政 榊原康政
酒井忠次
千姫
武田信玄
山県昌景
真田透琳
馬場彰炎
高坂義風
種子島重彦
北条早雲
毛利元就
毛利てる
吉川きく
小早川ちぬ
島津ヨシヒサ
島津カズヒサ
島津トシヒサ
島津イエヒサ
今川義元
明石風丸
朝倉義景
独眼流正宗

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